師走の蛙とは、「寒ガエル」をもじった古くより伝わる大阪しゃれ言葉。学校に通い出してから医師になっての勤務先まで、北大阪から一歩も出たことがない私、井の中の蛙の独り言です。診療の合間、日々の雑感を(医療に関係ないこともふくめて)綴っていきます。
最近になって、新しい臨床研修制度の功罪が語られるようになりました。臨床研修というのは、医師になってすぐに臨床の現場で実際に患者を診て勉強する、ということです。例えば、歯科では学生の時分から患者の(診察だけでなく)治療にまで携わります。ただ、医師はとにかくカバーする範囲も広く専門も細分化されているので、勉強だけで丸6年かかってしまいます。
この新しい臨床研修制度が導入される前がどうであったか、これについての報道があまりなされていないようです。旧制度の善し悪しを語らなければ、片手落ちだと思いますので、ここでは「新制度」以前がどうだったか、の現場の感想を。
医師が半人前になるまでの「かつての」道程を述べますと。まずは、医学部で勉強を6年。医師国家試験を受けて、合格すると晴れて医師を名乗ることが許されます。ただし、臨床の経験は限りなくゼロですから、いってみれば「自動車免許を取得する上での仮免許」です。要するに、自分ひとりでは道も走れない状態です。
そこで、多くは出身の大学病院の医局に籍を置き、先輩について勉強をするわけです。(大学病院でなく)いきなり町の大病院で研修をすることは基本的にはできませんでした。おおくの大病院は(つまらない話ですが)ある大学病院との関連があります。例えば「大阪府立○○センター」というような病院で勤務している医師は、ほとんどは大阪大学の教室から医師を派遣されていました。
同じ教室で教育を受けてきた、というのは決して悪いことだけではありません。外科で言えば、このような患者をどう治療するか、手術するときはどういう術式をとるか、の意識が統一されやすいのです。また、同じ「胃を切る手術」でも切っていく順番や、器械の選択の仕方など、細かい違いがあるのです。
ただし、臨床の症例数が少ない病院や大学の出身者は、最初から十分なトレーニングを踏む機会が少ないのも確かです。また、人と違う手術をみる、というのも勉強です。医局にとらわれず、大病院(=症例が多く研修が有意義)が研修医に好まれるのは道理なのです。
まだまだ話は長くなりそうなので、今回はここまで。